資本主義ゲーム攻略を目指すものぐさの雑記帳

この仮初めの人生の暇つぶしとして資本主義というゲームの攻略を目指しつつ、日々思ったこと、考えたことを取り留めもなく綴っていきます。

私の生きる意味

私は積極的な生きる理由を見つけられてはいない

生きる意味というものを考えたことがあるでしょうか。
 
考えたことがない。もしくは考えたことがあったとしても人生のごく一時期に。今ではそんなことはどうでもいい、という人が大半かもしれません。
 
私は生きる意味というものがあるとすれば、それは各人がそれぞれに見出すものなのだと思っています。
 
私の場合はと言うと、これから降りかかってくるであろう数々の苦難や理不尽を耐えるに値するような、自分なりの生きる理由や生きがいを残念ながらまだ見つけられてはいません。
 
そんな私がなぜ今生きているかといえば、それは両親や兄弟のためと言えるかもしれません。
 

家族の人生に暗い影を落とす

実は以前、両親にそのような話をしてみたことがあります。生きていれば楽しいこともあるけれど、それは一時の感情。面倒事や大変な事は次々とやってくるし、それを乗り越えてまで生きる価値を自分は見出せないと。
 
清々しいまでの無気力さです。甘ったれたことを言いやがって、そんな人間に生きる資格はないと言われてしまうかもしれません。ただ私は今でも心の底ではそう思っている部分があります。
 
その時の両親の反応はというと、ただ感情的に捲し立てるだけであったように思います。少なくとも私が納得できるような答えは返ってきませんでした。
 
当時の私はそんな反応を見て、この人達は子供の私という他人に執着しすぎなのだと冷めたことを思っていました。
 
親の立場になったことがないがために、そんなことを思えたのでしょう。両親にしてみれば、一生懸命に私という子供を育ててきたのになぜ!?という思いがあったはずです。
 
また別の視点、自分の両親を肉親としてではなく、あかの他人として見ると、少し見方が変わってきます。
 
私の両親の世代にとっては、結婚して子供を持つのがごく当たり前のことでした。そして周りをみれば、大きな波風も立たずに子供が成人して、次は孫が生まれてくるのが楽しみだ。そんな時代を彼らは生きているのです。
 
そんな中で、仮に子供の私が自ら命を絶つようなことがあれば、私の両親の人生にとても暗い影を落とすことになるでしょう。両親にしてみれば、今まで精一杯やってきたのに自分達だけどうしてこんな目に合うんだと、そう思わずにはいられないでしょう。
 
私はそもそも、人生とは理不尽極まりないものであるし、自分ではコントロールできないことの方が多いと思っています。ただそれを自ら実行して両親を苦しめるのはあまりにも無慈悲なのではないかと、そう思ったのです。
 
それに両親だけではありません。私には兄弟がいるので、彼らにも暗い運命を背負わせることになってしまいます。彼らも別に何か悪いことをしたわけではないのに、自死遺族として生きていくことになってしまう。この世の理不尽を憎んですらいる私からすると、それは許しがたいことです。
 
そんなこんなで、私には何があっても生きていくという選択肢しかないのだなと、そう観念するに至りました。
 

面倒ごとはなるべく減らしたい

病気になったり、意図せずトラブルに巻き込まれたりと、生きているだけで苦難や面倒ごとは向こうから勝手にやってきます。ただ生きていくと決めた以上、少しでも苦痛や面倒ごとは減らしていきたい。
 
苦しいことがあるから楽しいことも際立つ。濃淡あっての人生だという意見も一理あるとは思います。しかしたとえそうであっても、生きていく上での面倒ごとは極力少ない方がいい。軟弱な私はそう考えてしまいます。
 
おかしな話かもしれませんが、やらなければいけないこと、めんどうなことをいかに減らすかが私の人生のテーマの一つでもあります。
 
そしてナマケモノでもある私にとって大きな面倒事の一つである、労働をいかに減らすか。幼稚な考え方かもしれませんが、これを日々模索しながら生きている、というわけなのです。