資本主義社会には2つの身分がある
朝、眠い目をこすりながら仕事に行くために身支度を整えます。会社に出勤してからは、山のように溜まった仕事をこなすため、朝から晩まで一心不乱に働きます。仕事が終わり家に帰って夕食をとり一息つくと、もう寝る時間です。まだやりたいことはあるけれど、明日のために床に就きます。
私たち労働者の毎日はこんな感じではないでしょうか。
かたや私たちが生きる資本主義社会にはもう一つの生き方があります。それは資本が資本を生む、資本家としての生き方です。
労働者は搾取され、資本家はますます富んでいく
資本家の目的は、自らの資本からより多くの利益を生み出すことです。いかにコストをかけずに、より多くの利益を生み出すかを考えます。
資本家(もしくは資本家に雇われた経営者)は、食い扶持のために働く労働者が逃げ出さない程度の報酬を与える代わりに、労働者が持てる限りの労働力を目一杯絞り取ろうとします。
結果として、労働者は生活していくのがやっとの賃金で、ほぼ毎日朝から晩までくたくたになるまで働かされることになります。
特に雇用の流動性が低く、逃げようと思っても逃げ先(転職先)が限られていたり、労働組合が有名無実化しているこの日本では、労働者はより一層劣悪な労働条件で酷使されやすい環境にあると言えるかもしれません。
資本主義社会では、その構造上、労働者は資本家の利益のために生きていると言っても過言ではありません。
資本主義というゲームは、持てる資本の量が物を言うゲームです。
資本を持たざる者は、明日の糧を得るために労働力を提供せざるを得ず、結果として資本家に搾取される仕組みになっていると言えます。
そうやって資本家に富の全てが集中していけば社会は持続不能になりますが、それはまだまだ先の話でしょう。
資本家も労働者を生かさず殺さず、今の仕組みを維持していきたいと思っているはずです。
資本家への道は誰にでも開かれている
今の資本主義社会は市場原理が機能していない部分も多く、まだまだ純粋な資本主義からは程遠いところにあると言えるでしょう。
労働者でもそれなりの報酬を得ることができ、蓄財の余地もあります。
独立して個人事業主になることで、労働者でありながら資本家としての報酬を得ることも可能です。
資本家への道は誰にでも開かれていると言えます。
資本主義というゲームのあがりを目指す
先の記事で、私が今生きているのは消極的な理由からだということを書きました。
極力面倒ごとを減らしたいという理由もあるのですが、やはり人生には何か目標があったほうが張り合いが出てくるというのも確かだと思います。
前述のとおり、資本主義社会には大きく分けて2つの身分があります。資本家は労働からの自由を手にしており、ある意味で一つのあがり(ゴール)とも言えます。
なので、そこを当面の目標として目指してみることにしたというわけです。
別に私は資本家になって労働者を搾取したいわけではありません。私も一介の労働者ですから、その不遇は身を持って知っています。
そもそも労働者がいなければ、社会は成り立ちません。日々懸命に働き、人々の豊かな生活を支える人たちが使い潰されていく社会。そんな社会はどこか間違っています。
しかしそんなことを思ったところで現実はそうそう変えられるものではありません。今すぐにでも変えられるのは自分の意志と行動だけです。
いつか全ての労働者がゆとりある日々を過ごせる日が来るのを願いつつ、今日も資産形成に励みます。