資本主義ゲーム攻略を目指すものぐさの雑記帳

この仮初めの人生の暇つぶしとして資本主義というゲームの攻略を目指しつつ、日々思ったこと、考えたことを取り留めもなく綴っていきます。

年寄りの存在意義

高齢者の存在意義とは

これからの日本はこれまでに見たことのない超高齢化社会に突入していきます。2030年には国内の人口の1/3が65歳以上の高齢者になるとも言われています。
 
人の肉体は歳をとるごとに衰えていき、身体の自由が効かなくなっていきます。高度に医療の発展した今の時代、健康寿命を超えた寝たきりの老人は今後ますます増えていくことでしょう。
 
医療費という限られた資源を使って寝たきりの老人をいつまでも生かしておくのはどうなのか、と言う議論がなされることもあります
 
「今の社会を築いてきた功労者を切り捨てるとは何事か」、「どんな人間にも等しく生きる権利はある」
 
そういった意見もありますが、今回は功利的な視点からみた時の高齢者の存在意義というものについて考えてみます。
 

村に長老が必要とされた理由

この変化の激しい時代、単に物事を知っているというだけの"知識"は瞬く間に陳腐化していきます。
 
かつては役に立っていた知識は、もはやとっくの昔に時代遅れになっている。そんな流れは今後ますます加速していくことでしょう。
 
しかし世の中には数百年前に記されたにもかかわらず、今なお色褪せることのない古典というものが存在します。
 
なぜそんな大昔の書物が有難がられるのでしょうか。
 
それはどんなに時代や環境が変わろうとも変わらない(または応用の効く)原理・原則が記されているからなのではないかと思います。
 
かつて明日食うものにも困っていた時代。歳をとったり病気で身体が動かなくなり、働けなくなった者は口減らしとして見捨てられていたこともあったと聞きます。
 
しかしそんな中、体の自由が利かずただ食うだけの存在になってしまったにもかかわらず、生かされていた長老と呼ばれる老人達がいました。
 
そんな厳しい時代にあって、なぜ彼らが生かされていたのか。それはもちろん村にとって重要な、役に立つ存在であったからです。彼らはいわゆるご意見番として村に貢献していたのです。
 
なぜその役割が年長者にしか務まらなかったのか。それは彼らがこれまで見聞きし、実際に体験してきたこと、すなわち経験に価値があったからです。
 
物事には往々にして、付け焼き刃の知識だけではどうにもならないことがあります。
 
経験がモノを言う。そんな状況が数多くあります。
 
これまでの人生で多くのことを経験をしてきた年長者は、その経験に基づき現実に即した的確なアドバイスをしていたのではないでしょうか。
 

現役世代に必要とされるおばあちゃんの知恵袋

情報化社会といわれる現代。あらゆる情報に瞬時にアクセスできる、そんな時代です。
 
しかし世の中にどんなに情報が溢れようと、それを有効に活用できるかというとまた話は別です。
 
その情報の価値を判断したり、現実に即した形に応用して利用する、いわゆる知恵にまで昇華するというのはそう簡単なことではありません。
 
そしてそこに必要とされるのが経験であり、長くこれまでの時代を生きてきた高齢者なのだと思います。
 
現代でも定年を迎えてもなお、必要とされる高齢者がいます。それはまさしく彼らのこれまでの経験と知識から紡ぎ出される知恵が必要とされているからだと思います。
 
若い夫婦に子どもが生まれた時、一番頼りになるのは何でしょうか。それはきっとインターネットの情報サイトや掲示板ではなく、子育てというものを実際に経験してきた夫婦の両親、おじいちゃん、おばあちゃんでしょう。
 
そのようなかつての長老のような高齢者は、現役世代から疎まれるのではなく、非常に頼もしい存在に映ります。
 
そこに老人という存在の意義があるのではないかと私は思います。