人間関係の悩みは大きい
人間は古来から集団での生活を営んできました。人は社会的な動物であり、人付き合いというものは基本的にどこに行ってもついてまわるものです。
当然、個人の幸福感も対人関係いかんによって大きく左右されることになります。
人は生きていく中で他者の存在を必要としますが、だからこそいろいろな問題が起こるのだと思います。
今回は、私の考える人間関係の在り方というものについて少し書いてみたいと思います。
相手への過剰な執着を避ける
たとえば異性関係において、特に男に多いと言われていますが、特定の相手のことしか考えられなくなり、ストーカー化してしまうというケースがあります。
また、近年ではリベンジポルノといわれる別れた相手への復讐行為が問題になっていたりします。
このような問題行動に共通しているものは何でしょうか。
それは相手への過剰な執着だと思います。
「この人しかいない」という相手への執着は、強い愛情の裏返しと言えないこともないかもしれません。
しかし、基本的に他人の感情はどうこうできるものではなく、人間関係はまず自分の思い通りにはいかないことのほうが多いでしょう。
にもかかわらず、それをどうにかしようとするから強い欲求不満が生まれてしまうのです。
仏教では、あらゆる物事への執着は苦しみを生むとして避けるべきものと説いていますが、それは対人関係においても例外ではないと思います。
何かを欲したとして、それがどうしても手に入らない時、失った時に悲しみや怒りを感じてしまうからです。
一時期、ブルゾンちえみの「地球上に男は何人いると思ってるの?」みたいなネタが流行りましたが、ああいう考え方のほうがどちらかというと健全ではないかと思います。
人間関係も適度な分散が必要
このブログでも何度か紹介している橘玲さんの『幸福の資本論』では、幸福感をもたらす人間関係のことを社会資本と表現しています。
豊かな人間関係を、幸福を得るための一つの資産としてみなすような考え方です。
投資の原則に照らせば、資本の一極集中・集中投資は避けるべきものであり、複数の投資先への分散投資が基本になります。
これを人間関係にあてはめると、特定の誰かに依存するのではなく、自分の居場所やコミュニティを複数持つということになるのではないかと思います。

このことは、結婚してパートナーがいる場合も例外ではないと個人的には思います。
よく、定年退職後のサラリーマンが一日中家にいて奥さんにうっとうしがられて、しまいには離婚してしまうという熟年離婚がニュースなどで取り上げられたりします。
離婚にまで至ってしまう理由はいくつかあると思うのですが、退職した男性に他に居場所がないということが大きな理由の一つであるような気がします。
誰かともめたり、どこか一つのコミュニティでトラブルがあったとしても、他に自分の居場所があれば、そのことについて外から冷静に見つめ直すことができるものです。
たとえ夫婦の関係であっても、互いにそれぞれの人間関係を持ち、適切な距離感で付き合っていくというようなスタンスの方が上手くいくのではないかということを思います。
さらに言えば、人間関係が多様化した現代においては、もはや結婚も幸福な人間関係に必須のものではないというような見解もあるようです。
つまり、結婚というのはあくまで形の一つであり、より大事なのは実際に豊かな人間関係を築けているかどうか、ということのようですね。
分散の重要性を説く投資の格言に、「卵は一つのカゴに盛るな」というものがあります。
人間関係も特定の相手への執着を避け、バランスよくやっていくことが大切なのではないか。そんなふうに思います。