毎度どうでもいいことしか書いてないことで定評のある当ブログ。今回も例によって完全にチラ裏的な内容になります。
さて本日のお題はと言うと、ブログを書いている人が並行してやっていることの多いTwitterをどう使うかということについてです。
Twitterはインタレストグラフ?
Twitter黎明期からのベテランユーザーと比べると、私なんかは歴の浅いヒヨッコでしかありませんが、Twitterをどういう風に使うべきかについて一時期真面目に()考えていたことがあります。
特にアカウントを分けた方がいいか、ということについては考えたことのある人も多いのではないでしょうか。
アカウント分け問題についてググってみると、それはまぁいろんな意見がありますね。
たとえば、こちらの方はタイムラインは多少雑多な方が良いインスピレーションが生まれるとして、あえて分けないことを推奨しています。
思えば、いつも勉強させてもらっているえとみほさん、末吉さん、坂口さんなどは、この人たちには世の中がこんな風に見えているんだ!?という魅力があります。視点が大事なんだと思う。
そう考えると、何でもかんでも分ければいいってもんじゃなくて、むしろ色々な情報と接触できるように、アカウントは1つにして自分のタイムラインは情報がごった返しているほうが、アウトプットにも幅が出て面白いような気がします。
さて今の私はというと、ざっくりジャンルを分けて2つ、3つアカウントを運用しています。
以前、TwitterのCEOがこんなことを言っていました。
私も実際にTwitterを使ってみて、やはりどちらかと言うとFacebookのように人に紐づくソーシャルグラフとしてではなく、興味・関心に紐づくインタレストグラフとしての使い方の方がしっくりくるような気がしています。
TwitterとFacebookの違いについて理解する上で、覚えておきたいキーワードがあります。
それは、
Twitter=インタレストグラフ
Facebook=ソーシャルグラフ
だということです。これが結構重要なポイントです。
「インタレスト」とは興味・関心という意味。
「ソーシャル」とは社会という意味です。
つまり、インタレストグラフであるTwitterは、興味・関心がある者同士がSNS上で繋がるような仕組みで設計されています。
そしてソーシャルグラフであるFacebookは、社会的に繋がる者同士がSNS上で繋がるような仕組みで設計されています。
リアルでの対人関係を考えた時、私たちは意識せずとも相手によって話題を選び、話す内容を変えています。
なぜなら多くの場合、その関係性はお互いの共通項をベースとして成り立っているからです。
たとえば趣味の仲間といる時に、延々と自分の仕事の話をする人はまずいないでしょう。
趣味という同じ興味・関心だけでつながっている相手にとって、自分の個人的な仕事の話などどうでもいいことだからです。
もちろん関係性が深まれば、相手の違う側面にも興味を持つようになるでしょう。
雑多なツイートをするからこそ、その人の別の側面が見えて面白いという考え方もあると思います。
ただ関係の浅い、あまりよく知らない人の日常を知りたいと思う人はそれほど多くないのではないか?と個人的には思っています。
匿名アカウントの多いツイッターでは、他のユーザーとの関係性はネット上だけのものであることが多く、フォロワーとの接点は共通の興味・関心だけということになります。
そういう浅い関係のユーザーが多いTwitterで、何でもかんでも一つのアカウントでツイートすると、受け手にとってはノイズになってしまうのではないか?と個人的には考えており、なるべくアカウントのテーマに沿ったツイートをするということをささやかながら意識しています。
ネットだけの関係?リアルの延長?
SNSへのスタンスは人によって千差万別だと思います。完全にネットだけの関係と割り切って使っている人も多いでしょう。
私はと言うと、散々非常識なことを言い散らかしておきながら、これでもどちらかと言うとリアル寄りなスタンスでいるつもりです。
たまにオフ会なんかも企画したりしています(参加希望者は少ないですが笑)
もちろん情報収集のためにTwitterを利用している人も多いと思いますが、割とアクティブにアカウントを運用している人の中には、同じ趣味の人と交流したいと思っている人も少なからずいるのではないでしょうか。
Twitterに限らずSNSやネットは知り合うきっかけとしては優れたツールだと思います。
しかし相手との関係性を深めたいと思う場合には、やはりリアルでの交流、時間や体験の共有が必要ではないかと個人的には考えています。
人間は言葉や文字をつくり、現代ではインターネットやスマートフォンなど、身体は離れていても脳でつながる装置をたくさんつくってしまった。
だから、安易に「つながった」と錯覚するけれど、実際には信頼関係は担保できているわけではないという状況が生まれています。
合宿をして一緒に食事をして、一緒にお風呂に入って、身体感覚を共有することはチームワークを非常に高めてくれますよね? つまり我々は、いまだに身体でつながることが一番だと思っているわけです。
人間にしかないチームワークを支えているのは、類人猿の時代からの身体感覚なんですね。
インターネットが存在しないこれまでの時代では、たまたま自分の近くにいる人としか知り合うチャンスはありませんでした。
しかしネットやSNSの普及に伴い、知り合える可能性のある人の数は飛躍的に増えました。
ですが関係が長く続く相手というのは結局のところ、自分とどこか似たところのある人です。そういう気の合う人を探すのにネットはとても向いていると思います。
もちろんネットの世界にはいろんな人がいて、日常ではまず出会うことのないような人と遭遇してしまうということもあると思います。
実際に会ってみたらなんかイメージと違ったということもあるでしょう。
しかしそれも実際に会ってみないとわからないことです。
おなじみの『幸福の資本論』では、幸福の土台となる3つの資本として人的資本、金融資本、社会資本が挙げられています。
そのなかで人とのつながりを意味する社会資本は唯一、前二者とは違い、経済的価値で計ることのできないプライスレスなものです。
本文中でも、結局人との関わりという社会資本からしか幸福は生まれないということが書かれています。
前述のとおり、ネットでの出会いはいろいろなリスクがあり、時間的なコストも要します。
しかし、もしかしたら気の合う仲間に出会えるかもしれません。
換言すれば、社会資本という大きな財産を手に入れられる可能性がオフ会にはあるかもしれないということです。
だからこそ参加する価値があるのではないかと私は考えています。