情弱と情強
ネットの世界には情弱(情報弱者)という言葉があります。
品の無いネット民の間で使われている印象がありますが、一言で言うといろんな情報に疎い人ということでしょう。ググってみると情報資源に満足にアクセスできない人や、情報を充分に活用できない人、とあります。
さてその対義語としてあるのが情強というパワーワードです。
こちらは先ほどの情弱とは反対で、お得だったり役に立つ情報に目ざとい人達のことを意味しているようです。
情報リテラシーという言葉がありますが、情強とは情報リテラシーの高い人、と言い換えることができるかもしれません。
さてそんな情強に、私のような情弱が少しでも近づくにはいったいどうしたらよいのでしょうか。
いかに情報を厳選するか
現代社会は高度に情報化されています。新聞、雑誌、テレビ、インターネット……
巷にはありとあらゆる情報が飛び交っており、日常生活の中で私たちは意識せずとも情報のシャワーを毎日のように浴びています。
しかしそこには負の側面があるようにも思います。
どういうことかと言うと、知らず知らずのうちに私たちは情報過多になってしまいやすいということです。
なぜ情報過多がよくないと思うかと言うと、私たちの脳というデバイスの情報処理能力は有限であり、情報を取り込めば取り込むほど消費されていくのではないか、ということを以下の記事を読んで思ったからです。
「集中力の欠如」は、仕事を始めようと言う人にとっての最大の問題の一つだ。
そういう人は、上述した方のように
「私みたいに、集中力のない人はだめな人なんだ」
と、落ち込んだりする。
だが、その方の言うことをそのまま受け取っていいのだろうか。
これについて、一つ有益な情報がある。「集中力」は消耗資源である、という事実だ。
疲れ切っている人は、惰性で動いてしまう。
「意志力」がなくて行動を変えられないのではなく、「意志力」を使い果たしてしまったため、行動を変えることができなくなっている。
テレビは次から次へと雑学や知識を与えてくれているのに、それを見続けると馬鹿になるのは、一方的に強い刺激を与えられることによって脳が停止して、それが単に「雑音」として処理されるからだ。
物事を覚え、深く理解するためには、集中力が必要だと言われている。専門知識を覚えるためには、そこに意識を集中し、何度も同じ知識に触れて反復しなければならない。
専門知識はテレビを見て手に入るのではなく、自分でそこに集中して、それを覚えたいという切実な欲求と努力と向上心があって初めて身につく。
アップルの創業者であるスティーブ・ジョブスが毎日同じ服を着ていたことは有名ですが、その理由については些末なことで思考力や決断力を消費しないようにするためであったということが言われています。
現代は知識社会であり、思考力や発想力次第で生産性に大きな差が生まれる社会です。
その源泉となる脳というデバイスをクリーンな状態に保ちたければ、ジョブズやほかの成功者たちにならって、取るに足りない情報は意図的に遮断したり、考える必要のないことは遠ざける、といった努力が必要ということになります。
一方で、インプットが全くなければそもそもアウトプットは生まれようがありません。
たいていの発想や発明は、既存の概念からのステップアップや飛躍によって生まれており、0から新たな発想を生み出すというのは基本的には不可能なことだと思います。
ゆえにこの高度情報化社会において目指すべきは、良いインスピレーションをもたらしてくれたり、掘り下げて考える価値のあるような質の高い情報を厳選して仕入れられるようにすること、ではないかと思います。
発信者をフォローして自分に最適化されたメディアを作る
ではそのような質の高い情報に効率的にアクセスするにはどうすればよいのでしょうか。
以前に人間は"何を言ったか"ではなく、"誰が言ったか"を重視するようにプログラムされているということを書きました。
なぜ「あの人が言っているならそうなんだろう」という発想をする人が多いかと言えば、それが進化論的に有効な生存戦略であったからかもしれません。
"人"を信じて行動してきた個体の方が、いちいち物事の真偽を自分で確かめようとする個体よりも生き延びやすかったのではないかということです。
もちろん人の言うことを鵜呑みにして思考停止してしまうというリスクもありますが、先のような属人主義的な発想は、情報を仕入れる上でやはり効率的なやり方なのだと思います。
つまりは発信者をフォローするということです。
私もネット上でたまたま目にして、「これは…!」と思ったWebサイトやアカウントはRSSリーダーやSNSでフォローするようにしていますが、やはりその後の発信の内容にも興味をそそられるものが多いです。
ネットで興味を引かれる記事を目にした時、その記事を書いたライターの他の記事を読んでみると、やはり面白い記事が多かった、といった経験は多くの人がしていると思います。
情報発信が容易になった現代では個人も一つのメディアであり、優れたキュレーターというフィルターを通して入ってくる情報は、厳選された質の高い情報である確率が高いように思います。
ただし必要とする情報というのは人によって異なるため、自分が求める情報を中心に発信している発信者をフォローしていく必要があります。
それはつまり、自分に最適化されたキュレーションメディアを自らの手で作り上げていくということです。
少し手間のかかる作業かもしれませんが、自分オリジナルのメディアを作り上げていくその過程には楽しさもあります。
もちろん本当に有用な情報というのはネットには出回らず、人づてに伝わっていくものかもしれません。
けれど自分に最適化されたメディアを作っていくことで、少なくともネットに落ちている有益な情報を拾い落すことは少なくなるのではないでしょうか。
情強への道もそこから始まっているのかもしれません。