覇権国家アメリカの強さの源泉
魑魅魍魎のうごめくツイッターにおいて人畜無害な一住人であるこの私。
暇さえあればタイムラインに目を通し、日々の情報収集を怠らないようにしています。
よし、今日も平和だな!
さて先日、米国株投資のご意見番こと広瀬隆雄氏のこんなツイートを目にしました。
アメリカで仕事して、アメリカ人は本当にデータ・ドリブンだなと痛感しました。そこへ行くと日本人はフィーリングで意思決定している(笑)
— 広瀬隆雄 (@hirosetakao) 2019年7月31日
しかも、日本では自分たちがやっているのは、たんなるムードやセンチメンタルな発想での意思決定だ…と言う自覚はゼロ。
この後には、太平洋戦争でいかにアメリカが情報収集を重んじ、そのデータを元に戦局を有利に進めたかといううんちくが続きます。
まぁ戦争の話はともかくとして、本題はアメリカではいかにデータが重視されているかということです。
なぜデータを重視するのか。
そもそもデータとは、ある事象をより客観的に観測できるように数値(パラメーター)化したものです。
つまりデータを収集し分析するのは、より正確に現状を把握するための行為だと言えます。
翻ってデータの軽視は、状況への理解を疎かにすることを意味しますが、誤った現状認識からは有効な対応策が生まれるはずもありません。
問題解決にあたり、まず大切なのは正確な状況把握です。
何事においても、データ収集・分析は問題解決のための必要条件なのです。
現代社会にはありとあらゆるデータが溢れていますが、必要なデータをいかに収集し活用するかが雌雄を決すると言っても過言ではありません。
そしてそれを体現することで覇権を築いたのがアメリカという国家だと言えるかもしれません。
メジャーリーグにおけるセイバーメトリクス
アメリカのデータ重視の姿勢はいたるところに及んでいます。
たとえば私はアメリカの4大プロスポーツの一つ、メジャーリーグが好きなのですが、そんな娯楽の世界においてもその一端を垣間見ることができます。
1990年代、資金不足で万年弱小チームであったオークランド・アスレチックスの快進撃。それを紐解いたマネー・ボールという本があります(ブラッド・ピットを主演とする映画にもなりました)。
自身も元トッププロスペクト(有望株)であったビリー・ビーンGMが、いかにデータを重視して、アスレチックスを常勝球団に仕立て上げたかを描いたノンフィクション・ストーリーです。
当時のメジャーリーグは、昔ながらのスカウティングが幅を利かせる古臭い体質でした。そんな中で、データによる論理をチームビルディングに持ち込んだのがビーンGMだったのです。
勝利により結びついているのはどんな要素か?勝つためにはどんな能力を持つ選手を集めればいいのか?ということをデータから抽出し、それを元にチーム編成を行ったのです。
その結果、アスレチックスはプレーオフの常連チームへと変貌したというわけです。
しかしこのアスレチックスの躍進をきっかけに、どの球団もこぞってデータを活用するようになり、選手の過去の成績から運の要素をできるだけ排除して能力を数値化し、チーム編成に利用することはもはや当たり前のことになりました。
そうした中で発展してきたのがセイバーメトリクスという分析手法ですが、かつてアスレチックスだけが持ち得たマネーボールの優位性はほぼ失われてしまいました。
しかし一方でデータの重要性は変わらず、各球団は統計の専門家を競って雇い、より細かなデータを収集して少しでも優位性を見出そうと躍起になっているのです。
合理的なライバルほど怖いものはない
なぜアメリカはそれほどまでにデータや合理性を重んじるのか。
それは一言で言えば、勝つためだと言えるでしょう。
データを収集・分析し、理詰めで考えること。
それは統計的に有意な優位性のある手法を導き出すことにつながり、それこそがアメリカの強さの秘訣になっているのだと思います。
アメリカはその強大さゆえに、世界中から一目置かれています。
少なくとも先進国の中で、アメリカを敵に回したいと思う国はないでしょう。
常に冷静に合理的に考える相手を敵に回すこと。これほどやっかいなことはありません。
そういう相手を前にした時、自分の論理に少しでも綻びがあれば、それはすなわち負けを意味します。
翻ってこの日本では、広瀬氏が指摘するように合理性が軽視されているのではないか?という気がしています。
昔からそうやっているから。何となく良さそうだから。嫌いだから。
そういったフィーリングベースの意思決定が行われている場面は想像以上に多いのではないかと思います。
そんな合理性とは対極にあるようなアプローチが未だにまかり通っているようでは、あらゆる分野において世界に水を空けられ始めているのも必然と言えるでしょう。
しかし見方を変えると、これは決して悪い事ばかりではありません。
論理的思考を欠いた人ばかりの集団の中で、合理的であることを心掛ければ、比較的簡単に抜きん出ることができるということを意味します。
アメリカという覇権国家から学べること。
それは妥協のない合理性の追求が、彼の国を今の地位に至らしめた要因の一つであるということではないかと思います。