資本主義ゲーム攻略を目指すものぐさの雑記帳

人生の暇つぶしとして資本主義というゲームの攻略を目指しつつ、日々思ったこと、考えたことを取り留めもなく綴っていきます。

どこに住むかの重要性

 

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転勤を嫌う若年世代

近頃、転勤に消極的な就活生が増えているようです※1
 
一昔前の世代はそんな現状を「出世コースから外れるのにいいのか?」「せっかくいろんな経験を積めるチャンスなのに……」などと見ていることも多いかもしれません。
 
しかしその背景として、年功序列・終身雇用が失われつつあるということもあり、冷静に転勤のリスク・ベネフィット(コストパフォーマンス)を考えたとき、割に合わないと思う若い世代が増えてきているということではないでしょうか。
 

幸福感に大きな影響を与える社会資本は場による制約を受ける

当ブログに幾度となく登場している橘玲著『幸福の「資本」論』では、幸福に寄与する3つの資本として、人的資本、金融資本、社会資本が挙げられています。
 
簡単に説明すると、人的資本はその人のキャリアや仕事上のスキルのことで、経済的利益ややりがいといったものをもたらします。
 
金融資本はいわゆる資産のことで、経済的、物質的な豊かさと関係しています。
 
そして社会資本は家族、友人、知り合いなど、主に人とのつながりのことを意味します。
 
このフレームワークに基づけば、3つの資本をバランスよく積み上げていくことが重要ということになりますが、一方で、この3つの資本の幸福感への寄与度には偏りがあるのではないかということを以前に書きました※2
 
ハーバード大学での幸福に関する長期研究では、明確に社会資本の重要性が示されています。
 
さて社会資本、つまり人とのつながりということで言うと、かつては近所付き合い、家族や親戚付き合い、会社の同僚や上司との付き合いなどがその中心でした。
 
すなわち地縁、血縁、社縁が人と人とを結びつけていました。
 
しかしインターネットが普及して以降、人間関係の選択可能性が高まり、上記のようなある種受け身的なつながりは相対的に薄れてきていると言えます。
 
そしてこの傾向は若い世代に限ったことではなく、全世代でみられる現象のようです。
 
一方で、SNS等でできた新しいつながりがその関係を代替しているかと言えば、そうとも言えないようです。
 
以下の記事※3で面白い研究結果が紹介されています。
 
ダンバーの研究チームが、イギリスのある高校で、高校生の人間関係を調査し、卒業の半年後、1年後と友人とどれくらい付き合い続けているかを調べています。結果として、卒業後、関係性がものすごい勢いで切れていくということが明らかになった。一緒に遊ばなくなり、親密度も落ちていく。高校時代に特に仲の良かった友人同士でさえそうです。高校を卒業すると、進学や就職のために他の街へ引っ越す人もいるでしょう。そういった物理的な隔離が起きると関係性を維持するのは難しいのかなと考えられますね。この高校生たちは、研究者からの連絡用にプリペイドのスマートフォンを与えられていて、いつでも友人と連絡を取れる状況にありました。
アメリカの大学で、学内を飛び交う電子メールが誰から誰へ送られているかというデータを分析した研究があります。以前は、人種や性別、宗教が同じだと親密であると考えられていて、その効果も確かにあるのですが、それよりも同じ授業を履修しているかどうかがメールを送り合う関係を作ることに強く影響していることがわかりました。つまり、お互いが定期的に参加する「場」を共有していることが、社会関係の維持には重要だと考えられます。
 
学生時代に親しかった友人と次第に疎遠になっていくのは、別にその人に人望がないからというわけではなく、ある意味自然なことだということでしょう。
 
つまりインターネットの普及により一見世界中に広がったかに思える人間関係は、依然としてリアルに会う頻度や物理的な距離に規定されているということです。
 

コミュニティの多様性という地域の資本

先の転勤の話に戻ると、大手企業の待遇に惹かれて全国転勤ありの会社に入社したものの、実際に田舎に転勤してみて入社したことを後悔しているという声はネットではよく見かけます※4
 
都市部に住むことのメリットというと、経済的・物質的な豊かさ(人的資本、金融資本)がクローズアップされがちですが、前述の社会資本については見逃されやすいのではないかと思います。
 
先の研究結果を考慮すると、社会資本は場の共有によって生まれ、維持されるということになります。
 
言い換えると、リアルな交流の場が社会資本をもたらすということを意味しています。
 
この場、コミュニティの選択肢の数の違いが社会資本の格差をもたらします。
 
たとえば縁もゆかりもない小さな田舎町に転居した場合など、実質的に職場の人としか付き合いがないということはよくあると思います。
 
そうなると必然的に単一のコミュニティに社会資本を頼ることになりますが、それは事業への一点集中投資と同じで、うまくいかなかった時のリスクが大きいことを意味します。
 
社会資本を分散投資※5しようにも、その投資先、場自体が存在しないと分散ができないのです。
 
また単一のコミュニティしか持ち得ないということのデメリットは他にも考えられます。
 
2014年に出版された『インターネット・ゲーム依存症』という本があります。
 
以前に書いた記事※6でも触れましたが、インターネットやゲームへの依存はドラッグやギャンブル依存などと同様の脳の器質的な変性をもたらしますが、この本の中では依存症は適応障害、現実社会での居場所の無さと表裏の関係にあると解説されています。
 
すなわち単一のコミュニティに社会資本を依存していると、そこでうまくいかなくなった場合、他に逃げ込む先がなく、依存症になりやすいということ意味しています。
 
さらに本書では、ネットやゲームはいわば負け組の麻薬とも表現されており、これの意味するところは
 
現実世界で上手くいかない
→ネット・ゲームへの依存傾向
→前頭葉の機能低下が起こり、意欲低下・無気力に
→現実社会への復帰がますます困難に
→さらにネット・ゲームに依存
 
というポジティブ・フィードバックがかかり、負のスパイラルに陥ってしまうということです。
 
本の中では、このように些細なつまづきをきっかけに、転落の階段を転げ落ちていった実例がこれでもかというほど紹介されています。
 
この依存症を予防するという意味でも、現実世界に何かしらの居場所を見つけるというのは必要なことではないかと思います。
 
以上のことをまとめると、コミュニティの多様性が社会資本のアベイラビリティを左右し、依存症のセーフティネットの役割を果たしているとも言えます。
 
極論すれば、住む場所が人生を大きく左右するといっても過言ではないかもしれません。
 
ただその重要性についてはそこまで意識されていないような気もします。
 
進学、就職・転職などのライフイベントにおいて、ともすれば人的資本、金融資本を重視した意思決定がなされがちですが、住む場所の重要性について改めてよく考えてみる必要があると個人的には思っています。
 
 
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