資本主義ゲーム攻略を目指すものぐさの雑記帳

人生の暇つぶしとして資本主義というゲームの攻略を目指しつつ、日々思ったこと、考えたことを取り留めもなく綴っていきます。

幸せを運ぶ青い鳥はどこにいる?

 

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以前、幸福感のカギとなるのは身近な人間関係、社会資本であるということを書きました(※1)。

また社会資本の入手しやすさには大きな地域格差が存在するというようなことも書きました(※2)。

地球の裏側に住む人といつでも気軽にやり取りできる情報化社会真っ只中の現代にあってもなお、人類はいまだに身体性に縛られており、どこに住むかは人の幸福感に大きな影響を与えています。

今回は人々の幸福感のカギとなる社会資本が得られやすい場所、幸せを運ぶ青い鳥がいるのはどんな所なのか、ということについて考えてみたいと思います。


ゆるくつながることで自殺は減るが、幸福度は高まらない?

日本は世界的にみても自殺者が多く、特に若年層の自殺率が高いことが知られています。

それだけ日常に生きづらさを感じている若者が多いということかもしれません。

この理由については硬直化した社会システム、経済的貧困など諸説あると思いますが、ここでは、逆に自殺率の低い地域の特徴は何かということについて書かれた『生き心地の良い町』という本を参考に考えてみたいと思います。

この本では、国内でも極めて自殺率の低い町、徳島県旧海部町にスポットライトをあて、疫学調査や現地でのフィールドワークなどを通し、町や住民の特徴について考察しています。

本書では海部町の特徴、自殺予防因子として以下の5つが挙げられています(※3)。

  • いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
  • 人物本位主義をつらぬく
  • どうせ自分なんて、と考えない
  • 「病」は市に出せ
  • ゆるやかにつながる

この5つの因子は互いに関係しあっていますが、著者は5つめの「ゆるやかな繋がり」が他の4つの要素の根源であり、帰結でもあるとしています。

これらの海部町の特徴は、典型的な日本の村社会とは対極にある印象を受けます。

著者はこういった住民の気質は、江戸時代の入植者、移住者が多かったという歴史的な背景が関係している可能性を指摘しています。

移住者が多い町というのは、基本的にはよそ者同士の集まりです。

そんな中で暮らしていくには、見知らぬ他人とも臆せずコミュニケーションをとり、協力してうまくやっていくことが不可欠となります。

そういった文化の中では、「この人は信頼できるかどうか」を見分ける目、「その人物にどの程度の力量があるか」を見抜く目が自然と養われていきます。

最近の研究では、そのように人を見抜く力のある(社会的知性が高い)人ほど、見知らぬ他人であっても信頼できると答える割合が高いことがわかっています。

人を見る目に自信があるがゆえに、「知らない人であってもまずは信頼して話を聞いてみよう」というスタンスをとるようになる。他者を信頼するのがデフォルトの状態になるということです。

山岸俊男著『安心社会から信頼社会へ』では、そのような高信頼者の多い社会を「信頼社会」、逆に個々人の社会的知性の代わりに「村八分」のような仕組みに頼ることで安定を図る社会のことを「安心社会」と定義しています。

この安心社会の典型例が日本の村社会であり、そのような閉鎖的な社会では、共同体内部の人間関係を察知する能力が高くなるものの、他者への信頼をシステムに依存させているため、「みんなが良いと言うのだから良い人に違いない」といった発想をしがちで、人を見る目のない、"よそ者"は疑ってかかる人の多い(社会的知性の低い)社会となりやすいことが指摘されています。

この文脈でいうと、海部町は安心社会ばかりの日本では珍しい信頼社会であり(※4)、そのような社会システムが自殺率の低さにつながっていると考えられます。

しかしここで重要なのは、自殺率が低い=幸福度が高い ではないという点です。

先の海部町での調査では、海部町と隣接する2つの町の住民幸福度を比較したところ、海部町住民の幸福度は三町の中で最も低いという結果が得られたそうです。

自殺者は少ないけれど、取り立てて幸福というわけでもない。

本の表現を借りれば「幸せでも不幸でもない」社会ということになります。

多様性があり、ゆるくつながる信頼社会は生きづらさを解消する(マイナス→0)かもしれないが、幸福度を高める(0→プラス)作用はない、ということかもしれません。


カギは同質性?

さて身近な人間関係が大事と一口に言っても、長く能動的に続いていく関係には特徴があり、その鍵となっているのは同質性(※5)です。

また別の記事(※6)では、一卵性双生児は健康で長生きしやすいということに触れましたが、その理由もまた同質性にあるということを書きました。

昭和生まれのおっさん世代の方はご存じだと思いますが、長寿の双子として有名だった金さん銀さんも一卵性双生児でした。

多様であることの重要性が叫ばれ、ともすれば閉鎖的でタコつぼ化しやすいムラ社会は非難されがちな昨今ですが、個人というミクロのレベルで考えた時、似ている、同じであるということは、やはり大いなる安心感をもたらしてくれるのかもしれません。

そもそも人類が部族単位で暮らしていた時代、他の部族との殺し合いは日常茶飯事であり、同じ人間であっても異なる部族、異質な人間は脅威以外の何物でもありませんでした。

つまり異質性に対しては本能的にストレスを感じやすく、逆に同質なものには心を許しやすいという性質は遺伝子レベルで根付いているとも考えられます。

それは海外の移民の多い都市などで、ルールで決まっているわけでもないのに自然と住み分けがなされていたり(※7)、○○人街ができたりすることからも伺い知れます。

各家族は同じ色の家族が近隣に3分の1以上住んでいればそこに住み続ける(満足している)のに、均衡した最終結果では同じ色の家族が 周囲の約3分の2に住むようになるというものでした。

つまり、異質な他者に寛容な人々であっても、地域社会全体としては住民が互いに忌避し合っているかのように顕著に分居してしまうのです。

 

自分と似た人達が集まる場所

これらのことから言えそうなのは、

  • 生まれ育った場所が、運よく自分の気質にあっていた田舎のマイルドヤンキーのような人の場合、よっぽどのことがない限りそこから出ていく理由はない。
  • しかし一方で、そうでない人にとって日本のような安心社会は特に生きづらさを感じてしまいやすいため、別の場所を探した方が良い。

ということです。

合わない場所にとどまるのではなく、積極的に動いて自分と似た人たちが集まっている場所で暮らす。

それを実践している一つの例が、山奥ニート(※8)と言われる人達かもしれません。

彼らは田舎の山奥にある、共生舎というもともとは廃校だった建物をリノベーションした集合住宅で共同生活を送っています。

住人はもともと互いに面識があったわけではなく、日常に何らかの生きづらさを感じていた時にインターネットなどでその存在を知り、そこでの暮らし、生き方に共感した人達が集まってきているようです。

そこでは非常にゆっくりとした時間が流れており、思い思いに自分の好きなことをして時間を過ごしています。

そんな生活は長続きしないという批判の声もあるようですが、生き方が多様化した現代において、これも一つの形ではないかと個人的には思います。

共生舎のそもそもの始まりは、代表の石井さんが大学生時代に挫折して進路に迷っていた時に、自分とおなじような境遇の人たちにブログやSNSで声をかけていったのがきっかけだったそうです。

また共生舎での暮らしをネットで発信しているうちにメディアなどでも取り上げられるようになり、興味を持った人からの問い合わせや見学・入居希望が後を絶たないようです。

インターネットも使い方によっては、自分と似た人たち、幸福の青い鳥を探すための良い道しるべとなる。

彼らはある意味、時代の先を行く人々なのかもしれません。

はたして自分と同じ性格の人が高度に集中する場所のほうが、より幸せを感じるものだろうか。答えは間違いなく「イエス」である。

リチャード・フロリダ著『クリエイティブ都市論』

 

 

 ※1:

※2:

※3:

※4:実際に海部町では「一般的に人を信用できるか」、「見知らぬ人であっても信用できるか」という質問にYesと答えた人の割合が隣町Aよりも有意に高い(それぞれ 35.1% vs. 18.9%、27.6% vs. 12.8%)。岡檀. 『生き心地の良い町』講談社. pp 49-50. 

※5:

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※7:

※8: