集団になるとバカになる?
よく都会の人間は冷たいと言われます。
都市部では、道ばたで困っていたり、具合が悪そうにしている人がいても素知らぬふりをして通り過ぎていく人たちがほとんど、などといったことがその実例として挙げられたりします。
都会人は四六時中時間に追われており、他人に構っている余裕などないというのはありがちな理由付けかもしれません。
あるいは都会は人が多すぎて、人を人として扱っていたらキリがない、なんていう極端な意見もあるかもしれません。
さてこのような現象を理解するうえで一つ重要な理論として傍観者効果というものがあります。
この傍観者効果は以下の3つの心理から生じると言われています。
- 周りの人が行動していないのなら、緊急事態ではない(多元的無知)
- 周りの人と同じ行動をとっていれば、仮に間違っていたとしても責任は小さい(責任分散)
- 自分だけ何かをして、変な人に思われたらどうしよう(評価懸念)
ムラ社会で"世間"の目を気にしやすい日本人は、これらの心理による傍観者効果が特に強く表れているのではないかと思います。
先の例で言えば、都会の雑踏という環境こそが親切の妨げになっているということです。
そしてこの傍観者効果の最大の問題点は、本当に行動を起こす必要がある時にもそれにブレーキがかかってしまうという点です。
近年は時代の変化の流れが激しさを増していますが、それは今までのやり方が途端に通用しなくなり、「何かを変える」行動を起こさなければたちまち時代遅れになり、ゆでガエルになってしまうということを意味しています。
"三人寄れば文殊の知恵"ということわざがありますが、現実にはむしろ衆愚に陥るケースの方が多いと言わざるを得ないかもしれません。
このような傍観者効果による衆愚を避けるには、やはり基本的には大事なことは一人になって考え、判断する習慣をつけることではないかと思います。
ここでのポイントは、物理的にも一人になれるスペースを確保するということです。
人間は環境の影響を受けやすいため、たとえ流されまいと心に決めていたとしても、集団の中にいるとつい周りの目や意見に引きずられ、意志や行動がぶれてしまいやすいものです。
創造は会議室で起きてるんじゃない
また一人で考えるということの重要性は、何かを決めるという意思決定においてだけではなく、クリエイティブな活動に取り組む際にも当てはまります。
Googleではアイデアを出す際に、いわゆるブレインストーミングよりも、一人一人の独創性を引き出すことを重要視しているようです(※1)。
グーグルで何度もワークショップをしたときも、成功したアイデアは、どれもブレストから生まれたものじゃなかった。最良のアイデアは、机に向かっているときやシャワーを浴びているとき、一人で考えたときにこそ生まれていた。
ブレストで出たアイデアよりも個人で生むアイデアのほうが質が高く独創性に富んでいるということは多くの研究からもはっきりしている。
ブレストは、付箋をペタペタ貼って言いたいことを言い合って、確かに楽しい。でも、そこで出てきたアイデアを土台にしてさらに作り込めるということは滅多に起きない
たしかにチームでアイデアを出し、ブラッシュアップしていくことで余計な"カド"が取れ、より現実的で実行可能性の高いプランが出来上がるという利点はあるかもしれません。
しかしそれは見方を変えれば無難な結論を出してしまいやすいということでもあり、アイデアの段階で尖っていた部分こそが価値の源泉だったということも往々にしてあるということでしょう。
創造は会議室で起きてるんじゃない、陰キャの頭の中で起きてるんだ
ここまでの話だと、陰キャラ=発明王ではないかと早とちりしてしまいそうですが、事はそう単純ではありません。
アマゾン、フェイスブックなど、米ハイテク大手はこのご時世に次々と都市部のオフィス契約を結んでいることが報じられています(※2)。
リモートワークに置き換えられるならばオフィスは不要と賃貸を引き払う企業が多い中、これらの巨大ハイテク企業は当然そのトップランナーだろうと思いきや、それに逆行するような動きをみせているのです。
逆張り投資をする経営陣の心中やいかに?という感じではありますが、その理由の一つにはセレンディピティーということがあるのではないかと推察されます(※3)。
スティーブ・ジョブズは、リモートワークに反対することで有名だった。Appleの従業員の最高の仕事は、他の人との偶然の出会いから生まれるのであり、自宅でメール受信ボックスの前に座っていたのではできないと彼は信じていた。
「創造性は自発的な会合や思い付きのディスカッションから生まれる」とジョブズは言っていた。「誰かに出会い、何をしているのかを聞き、『ワーオ』と反応する。そうすればすぐに、あらゆる類のアイデアをひねり出すようになる」
「ハイテク企業がマイクロキッチン(休憩室)と自由に食べられる軽食を用意しているのは、人が午前中に空腹になってしまうからではない」
「そこにセレンディピティー(serendipity=素敵な偶然の出会いや発見)があるからなのだ」
最先端のハイテク企業は人がリアルに集まることをきっかけに生まれるアイデア、創造性というものにそれだけの価値があると考えているということでしょう。
世界的に有名なジャーナリスト、トマス・フリードマンはインターネットの普及による『フラット化する世界』を予見しましたが、都市研究などの結果を踏まえ、それに真っ向から反対する主張を繰り広げる『クリエイティブ都市論』では、クリエイティブな人々の行動に以下のような特徴があるとされています。
きわめてクリエイティブな人々は、他者と活発に交流する時期と、深く集中する時期を繰り返す傾向にある。
他者と交流する中で良いインスピレーションやひらめきが生まれたら、それを持ち帰って一人で黙々とアイデアを形にする作業に打ち込む。
この工程を繰り返すことで、自身の創造力を最大限に引き出せるということをクリエイティブな人々は経験的に知っているということでしょう。
賢者タイムが人を賢者たらしめる
人との交流をきっかけにアイデアが生まれたとしても、それを形にするという作業を怠れば、そのひらめきもいつしか泡となって消えてしまいます。
その意味ではやはりクリエイティブな活動も、カギを握っているのは一人で黙々と作業に打ち込む時間ということになります。
つまりここまでの話をまとめれば、一人で静かに思索する時間、いわば賢者タイム(※4)こそが大きな意思決定、クリエイティビティの命運を左右すると言えます。
以前に、過去の偉人は人里離れた場所に隠棲している例が多いみたいなことを書きました(※5)が、彼らは賢者タイムの重要性を知っていたからこそ賢者たり得たとも言えるかもしれません。
でも、それはもともとスゴイ人だったからこそ一人で偉業を成し遂げられたのでは?と思う人もいるかもしれません。
しかし自分を信じられない者に、果たして成功の女神は微笑んでくれるでしょうか。
自らの内に眠る力を信じ、一人で自分自身と向き合うこと。
そのことが歴代の賢者たちを賢者たらしめてきたのではないでしょうか。
※1:
※3:
※4:巷で言うところの賢者タイムは高プロラクチン・高コルチゾール血症などによる覚醒度・思考力の低下が起きているため、賢者どころか廃人タイムとでも呼び方を改めるべきである。
※5: