資本主義ゲーム攻略を目指すものぐさの雑記帳

人生の暇つぶしとして資本主義というゲームの攻略を目指しつつ、日々思ったこと、考えたことを取り留めもなく綴っていきます。

教養は現代に必須のチート装備?

 

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直感と直観

口ではうまく言い表せないけど、何となく○○な気がする…

このような感覚は多くの人が経験したことがあるのではないでしょうか。

この感覚は俗に言う第六感、直感のなせる業と言われています。

直感…

この言葉を辞書で引いてみると、「推理や考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえること」とあります。

よくスポーツの指導者などが「考えるな、感じろ」と選手にアドバイスすることがありますが、これはまさに直感を働かせろということを言っているのだと思います。

この直感という感覚に関する研究は日本でも行われており、理化学研究所の脳科学総合研究センターが棋士の直感のメカニズムについての研究結果を2011年にScienceで発表しています(※1)。

科学的な定義はないのですが、私は研究対象を「専門家(エキスパート)が発揮する直観」に限定し、「意識せずに出てくる正しい判断で、極めて短時間に、どのような状況でももたらされるもの」としています。将棋やチェスだけでなく、医師、会計士、サッカー選手など、さまざまな分野に直観を持つエキスパートがいると考えています。いずれも長い年月をかけた訓練や学習に基づくもので、私たちが抱く「直観のようなもの」とは全く性質の異なるものです。

直観的に考える訓練を重ねるうちに、初めは情報を大脳皮質で処理していたのが、意識に上らない大脳基底核でも処理するようになったといえます。大脳基底核には抑制性のニューロンが存在していることが分かっています。抑制性ニューロンを抑制する、つまり、強い興奮を引き起こす仕組みをうまく利用して、大脳皮質よりも効率よく処理をしていることがうかがえます。


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つまりここで言う直感とは、特定の課題(シチュエーション)を繰り返し経験して習熟することで、情報を無意識のうちに瞬時に処理できるように適応した結果生まれる感覚と言えそうです。

進化的に古い大脳基底核によってもたらされるということから、頻回に遭遇するシチュエーションに対していちいち考え込まなくてもいいように、進化の過程で脳が獲得したショートカット機能と言えるかもしれません。

この動物的とも言える感覚を言葉で言い表しにくい理由について、EQの第一人者としても知られる心理学者のダニエル・ゴールマンは以下のように表現しています。

大脳基底核は、私たちがやることなすことのいっさいを観察し、そこから決定の規則を引き出す。……どんなトピックに関するものであれ、私たちの人生の知恵は大脳基底核にしまわれている。大脳基底核はあまりに原始的なので、言語を司る大脳皮質とはまったくつながっていない。だから、自分が知っていることを言葉で私たちに伝えられない。脳の情動中枢や内臓とはよくつながっていて、気持ちという形で語りかけてくる。これは正しい、これは間違っているということを直感的な感覚として伝える。

『SQ 生きかたの知能指数』 / ダニエル・ゴールマン著


直感は普段私たちが「考える」と聞いて思い浮かべる前頭前皮質を中心とした意識的な思考プロセスとは全く異なる経路で導出されており、そのことが言語化にいたらない理由ということのようです。

さてここまでは直感ということについて書いてきましたが、これと混同されやすい”直観"という概念があります。

読みも同じで、実際に先の研究記事(※1)でも直感が"直観"と表記されているように、はっきりとした使い分けがなされていないのが現状だと思います。

これは厳密に言葉の定義がされていないことが大きな理由の一つだと思われますが、コロンビア大学ビジネススクールの講義内容をまとめた『超、思考法(原題:The Seventh Sense)』では、直感を第六感、直観を第七感として明確に区別しています。

人は複雑なタスクを繰り返すたびに、それをうまく、素早くできるようになる。それとともに、第6感も磨かれていく。楽器やスポーツなどに本格的に打ち込んだ経験がある人は、第6感がどのようなものかがわかるはずだ。会議に途中から参加したときに、何も説明されなくても状況がわかることがあるのも、第6感の働きだ。これは、一種の「既視感(デジャヴ)」の形態をとっている。これまでに体験したことのある似たような状況を、記憶から呼び起こすのだ。

第7感は、新たなアイデアを生みだす脳のメカニズムだ。それは、これまで誰も思いつかなかったような突然のひらめきや、「そうか、わかった!」という感覚を生む。新しく、かつ便利なアイデアを生みだすのは第7感だ。実際、社会は第7感がもたらすアイデアによって進化してきた。


直感(instinct)は基底核由来で特定の状況の反復経験による非言語的なパターン認識であるのに対し、直観(inspiration または intuition)は言語化が可能な、新皮質での化学反応的なひらめきと言えます。

以前に書いた記事(※2)で、脳のデフォルト・モード・ネットワークという機能に触れたことがありますが、直観はまさにデフォルト・モード・ネットワークが作動し、無意識下でこれまでの経験や学習によって得られた情報が統合されることによって生まれるのです。

直感はいわばAIのアルゴリズムに近いものであり、あくまで特定の領域において事前にインプットされたビッグデータ(教師データ)を参照して、パターン認識により最適解を導き出すというアウトプットに限定されています。

一方で直観は、一見畑違いに思える領域の知識や経験までもがごった煮にされ、新しいアイデアが生み出されるという点でクリエイティブで、非常に応用性があると言えます。


直観力を支えるコモンセンス

直観はこれまでの経験や学習を元に生まれるものですが、誰しもが何らかの経験や学習をしている以上、アイデアを出すこと自体は誰にでもできることです。

しかし斬新でかつ、具体性のある現実的なアイデアを出せるのはごく一部に限られていると言えるでしょう。

つまり直観力には大きな個人差があると考えられますが、その違いはどこから来るのでしょうか。

そのことに関して、脳科学者としてメディアでおなじみの茂木健一郎氏が面白いことを言っています(※3)。

もうひとつは、世を動かすイノベーターたちの考え方だ。彼らの共通点は、物事の本質を理解する総合的な知力「コモンセンス」と的確な判断力にある

「ハーバードやスタンフォードの面接で問われるのは、ペーパーテストの点数ではなく、学生のコモンセンスと判断力です。リベラルアーツ最先端の米アマースト大学は、入学者受け入れ会議の様子をネットで公開していますが、この動画を見ると、彼らが入学者を『コモンセンス』に基づいた『直観』で選んでいることがわかります」

スペースX社のCEOイーロン・マスク氏は、現在進行中のニューヨークとワシントンをたった29分で結ぶ高速地下交通事業について、「空飛ぶ自動車はどうか」と聞かれたとき、即座に否定した。

「不確実な未来をすぐに判断できるのは、彼が本質を理解しているからです。ビルが林立し車が行き交い、多くの人が暮らす都市部の環境や安全面を考えれば、空飛ぶ自動車が渋滞解消の主流になるはずはない。ところが、日本はコモンセンスのある人が少なく、学生はおろか社会人まで『空飛ぶ自動車、いいですね』と言いだしそうな雰囲気ですよ」


要するに、名門大学の面接官やイーロン・マスクが前例のないことに対しても瞬時に適切な判断を下せるのは、揺るぎない基礎教養(コモンセンス)に支えられた直観力があるからだということを言っているようです。

コモンセンスのある人の目にはより解像度の高い世界が映っており、よりヴィヴィッドに世の中の仕組みというものが見えているということかもしれません。

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そして世の中の仕組みや法則が見えているからこそ、直観的にそのアイデアが筋の良いものであるか、はたまた(コモンセンスを外した)ナンセンスなものであるかどうかがわかるということでしょう。

これは武道などの「守・破・離」という概念にも通じるところがあります。

まず王道と言われる型を体得し、その本質への理解(コモンセンス)があるからこそ、ハイコンセプトな新しい型を生み出すことができる。

つまり広い意味でのコモンセンスはさまざまな分野に存在し、コモンセンスのある、センスの良い人は物事の急所がわかるため上達が早く、成果を上げやすいと考えられます。

これはある意味、現実世界の攻略情報を持っているようなものだと思います。

全く初見のゲームをプレイする時、攻略本を持っていないプレイヤーはあっちをフラフラ、こっちをフラフラしながら手探りでゲームを進めていきますが、たいていの場合はどこかで行き詰まって前に進めなくなります。

一方頭の中に攻略のヒントが詰め込まれている人は、それを手掛かりに余計な時間や労力を費やすことなくサクサクと効率的に進めていくことができます。

また今日の情報化社会では、コモンセンスが無いことには大きな弊害があるとさえ言えるかもしれません。

人間の脳というデバイスが処理できる情報量には限りがありますが、そのことによって「ある程度知っていること」をもっとよく知りたい、というように人の好奇心がかなり限定された範囲にしか及ばないことがわかっています(※4)。

このことは、「特定の」情報に中毒になる一方で、それに反するような情報には見向きもしないという態度につながっており、これはまさにオカルトや陰謀論が熱烈に支持されるメカニズムと言えるでしょう。

好奇心にはパラドックスがあるのだ──「すでに自分が知っていること」をもっと知りたい、という。


一度そのような情報に取りつかれると、瞬く間に熱心な信者になってしまいやすいのです。

この信者化現象のそもそもの始まりは、トンデモ論に遭遇した時に「なるほど」と思ってしまうところにあります。

つまり即座にナンセンスだと切り捨てられる価値判断基準を持っていないがために、信者としての道を歩み始めてしまうということです。

"確かな目"を持たずにフェイクニュースが吹き荒れるインターネットやSNSという荒涼とした砂漠に出ると、容易にオカルト論者になってしまう。

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このことは基礎教養(コモンセンス)が情報リテラシーの中核をなしており、その有無により情報格差がより一層レバレッジされているということを意味しています。

教養を身につけるには

コモンセンスに支えられた直観力は、あらゆる物事を攻略する鍵(矛)であり、かつ情報弱者化を防ぐ盾である。

ではその下地となる教養はどうすれば身につくのでしょうか。

何かを学ぶということを考えた時、その方法には大きく分けて経験から学ぶというやり方と、知識を得る(他者の経験から学ぶ)というやり方があります。

経験から学ぶということの利点は、非常に学習効率が高いことです。

当事者となって主体的に取り組んだ事柄は、強い印象と共に記憶され、その人の価値観の一部を形成するほどのものになることも多いでしょう。

一方で、学習が実際の経験の範囲内にとどまってしまうという短所があります。

これを補うのが知識による学習であり、"愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ" というドイツの宰相ビスマルクの格言がありますが、自分の経験の範囲内でしか知り得なかった世界を、知識が大きく拡張してくれるのです。

また知識には人間の認識の偏りというものを補正しなおす役割もあります。

ベストセラーとなった『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 』では、人の認識には往々にしてバイアスがかかっているということがデータとともに示されていますが、直観の精度を高めるということを考えた場合、その元となる認識はより客観的で正確なものである必要があります。

つまり教養たる知識には普遍性や正確性が求められることになりますが、私が思うに、そのような確かな知識を得るという意味では、やはりきちんと校閲された出版物(書籍)にかなうものは現時点ではありません。

情報や知識なんてインターネットでいくらでも手に入ると思いがちですが、ネット上にある情報の中でもオーソライズされた確かな情報というのはごくわずかであり、ノイズだらけの中からそれを拾い上げるのは非常に手間がかかる上、またその情報も断片的なものでしかありません。

ただし教養を先のように定義すると、その素材を手に入れることができるのは、書籍の中でもごく一部に限られていると言えます。

読書というと一般的には多読がすすめられますが、ドイツの哲学者ショーペンハウアーは良い素材を提供してくれる良書を厳選し、編纂書のようなまとめ本や二次出版物を避けることの重要性を説いています。

作品は著者の精神のエキスである。

比類なく卓越した精神の持ち主、すなわちあらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品だけを熟読すべきである。(中略)このような作品だけが、真に我々を育て、我々を啓発する。

良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。

『読書について 他二篇』 / ショウペンハウエル著


これを今風に解釈すると、その道の専門家、第一人者が生涯をかけて得たものを一冊に凝縮した書を読みなさいということになるでしょうか。

ただし良い素材を見つけられたとしても、それを自由自在に使いこなせるようになるためには、真の意味で知識を体得していなければなりません。

以前に書いた記事(※5)で、人間の記憶が固定化されるメカニズムについて触れましたが、その意味するところは、悪戦苦闘しながら必死につかみ取った知識や経験だけが自らの血肉となるということです。

教養というものが真剣な学びの積み重ねでしか得られないとするならば、鋭い直観、優れた洞察力は、ひたむきにその王道を歩んだ者だけが手にできる力と言えるかもしれません。

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